天保の大飢饉と飯盛女 その2
新潟県に三条市っていうとこが、あります。
ここは今、三条市のホームページをみると、人口が96968人てあります。
俺は風俗は暗いんで全然わからないんですが、確かソープランドは一軒もありません。
ホテトルとか、デリヘルとかも、使ったことないんで、あるのか、どうかもわかりませんが、エッチ可能でおおっぴらに営業しているとこは、無いと思う。
これが、天保時代はどうだったかっていうと。
天保11年(1841)の書き上げによると、飯盛女を抱えた旅籠屋は、御坊門前の上町、大町、新小路、本寺小路など村上領内に20軒ある。また高崎領に属する裏舘村分の本寺小路、居島新田にも21軒の旅籠屋があり、それぞれ1軒に3人宛の飯盛女を抱えることが許されていた。
三条市史より引用
現在の三条市ってところは、天保時代は上記の村上藩領、高崎藩領の他に、村松藩領、長岡藩領、会津藩領などがありました。
旅籠屋、1軒に付き3人まで飯盛女を雇えたわけだから、41軒で最大123人、1人づつしか雇ってなかったとしたら最小41人も飯盛女がいたことになる。
江戸時代の人口が3000万人くらいだから、今のざっと4分の1で、換算すると最大で500人弱、最小でも200人弱も、飯盛女がいたことになる。
新潟県の県都、新潟市でもソープランドに勤めてる女の人が、100人もいるとは思えない。
天保時代、当時の三条近辺の人が、特別助平な人ばっかだった、とかっていうことはないか。
天保の大飢饉があったわけだから、下層農民に生活の余裕があったとは思えないんだけど、まさか娘を売った金で旅籠屋に上がって女を買っていたなんてことは、あるわけないか。
当時も今も富裕層はいるわけで、そういう人たちが一晩に何人も飯盛女のハシゴをやってたとか。
当時の三条の旦那衆は、精力絶倫で1000人切り目指してました、とかも、あるかもと思ったけど、うんなこたああるわけないか。
或いは、無茶苦茶に安かったとか、例えば100円で女が買えたとか、いくらなんでも安すぎなんで、2000円で女が買えたとかは、あるかも。
そうじゃないと、富裕層はいたんだろうけど、飯盛女の数が多すぎる。
百姓、町人が使わなくても、武士が使うだろっていう、ツッコミも聞こえてきそうだけど、三条ってとこは、城下町ではないんで、武士は少なかったはずで、ほとんどお客は百姓、町人だったと思う。
現代でも、稼いだ金は一銭残らず、風俗だの好きな娘がいる飲み屋に使うっていう人もいるから、案外そういう人がいっぱいいたのかも。
大飢饉になると、命も危なくなるわけだから、その反動でせっせと風俗に通うとか、女房がいれば一生懸命セックスして、その結果子供がいっぱい生まれたってことなんかも。
身分制が厳しい時代だったし、大飢饉で餓死する可能性もあるくらい、絶望的な暮らしだったから、助平が唯一の息抜きだったのかも。
結論、昔の人間は、無茶苦茶助平だった、以上。


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