天保の大飢饉と飯盛女

天保4年(1833)の冬から翌5年(1834)の春にかけて、江戸では俗に「菰」かぶりと呼ばれた乞食の群れが目立って増えた。これらの乞食は、みな他国から流れてきた、飢饉が生んだ被災者の果てであった。水呑と呼ばれた下層農民の多くは、年貢が払えず、泣く泣く愛娘を売春婦として身売りに出し、その代償として受け取った金で、年貢を払ったり、家族の生活費にあてた。家を救い、親、兄弟を助けるために、飯盛女という売春婦に転落していったのである。

三条市史より引用

映画やテレビドラマの時代劇では、優しいお侍さんや、余り生活に不自由してなさそうな百姓、町人しか出てきませんが、江戸時代は超格差社会だったんで、いったん大飢饉なんていうのがくると、日本全国でこういう悲惨なことになりました。

天保5年(1834)正月、下田葎谷の組親が新小路の旅籠屋、松葉屋に宛てた年季奉公の請け状によると、長年諸役の支払いに差し詰まり、娘を飯盛女として松葉屋に奉公させる年季は天保5年(1834)から同12年(1841)のまる8年間、給金を13両に定めて、前金で受け取った、年季中、万一娘が逃亡した際には必ず連れ戻し、奉公させることを誓い、長患いなど不都合のあった際は、いつでも給金を返済すると一札を入れている。組親が娘を飯盛女に身売りして得た13両をその年の米価でみると、米30俵分にあたる。僅かな額で身売りされたことがわかる。

三条市史より引用

米の通販サイトを見たら、米30kgで約11000円。

1俵60kgとして、30俵だから約66万円。でも、1両20万円だったなんてのも、あるし、それだと13両で260万円。

今、軽の新車も高くなって、200万円以上するのもあるから、軽の新車くらいか。

売春婦だから、性病になる確率もかなり高いだろうし、それが悪化して死亡なんてこともあるかも。

どっちにしても、安い、安すぎる、大安売り。

百姓と油は、絞れば絞るほど、取れるものなり。百姓は生かさぬように、殺さぬように、なんて言葉があるけど、これは確かに殺してはいないけど、到底まともな生活ではない、娘まで売らなきゃ生活できないんだから、奴隷のような暮らし。

これは、極端な例だろうけど、そこまでいってない下層農民も、これでは楽な生活など夢のまた夢。

どうりで、NHKの大河ドラマで義民なんとか、なんていうのは絶対やらずに、戦国の武将ものしかやらないわけだ。

義民なんてのをやったら、政府、与党のみなさんから、クレームがくるかも。

参考文献 三条市史 三条市史編集委員会編著  三条市


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Posted by shigeziro703