大衆の顔が、見えない歴史教育
学校で日本の歴史を習ったが、遣唐使の派遣だの、冠位十二階がどうたらだの、関ヶ原の戦いが何年にあったとか、武家諸法度が何年でとかばっかで、肝心要の一般大衆の生活が、その結果どうなったのかっていうのが、全くわからない。
それで、一般大衆の生活が向上したのか、なんにも影響しなかったのか、そもそもどういう生活だったのかなんてのは、そもそも教科書に書いてないんで全くわからない。
天明の大飢饉とか天保の大飢饉があって、いっぱい人が餓死したのはわかるけど、餓死までいかなかったとしても、村にいるご先祖様である百姓とかは、相当大変だったんだろうけど、何年に天保の大飢饉がありましたって、サラッと書いてあるだけ。
日本の歴史の流れがわかるだけで、その中にいたはずの大衆がどういう暮らしだったのかとかは、全然わからないし、そもそもそんなもんは、どうでも良いってゆう考えなのかも。
日本国民としての、最低限の自国の歴史を教えるってえのが目的なのかもしれないけど、大衆の暮らしがどうだったのかなんてのは、なんにも書いてないから、習う方もそんなことには関心を持たない。
そんな教育を子供ん時から、小学校、中学校、高校、大学と受けるわけだから、その間ズートッ大衆の暮らしに無関心てことに。
昔、小沢一郎さんが政治とは生活だって言ってたけど、大衆の暮らしにまるっきり触れないような歴史教育になってんだから、教育される方も何年に冠位十二階がとか覚えるのに一生懸命なだけで、大衆の暮らしはどうだったかなんてことには、無関心てことに。
大衆の暮らしに触れないような歴史教育ってことは、政治に触れないっていうのに等しいんで、そんな教育を受け続けているうちに、政治に関心が向かないように自動的にされてるようなもんで、一種の洗脳みたいなもん。
こういう教育の成果(結果)として、選挙の低投票率が毎度繰り返されるってことんなってるんじゃあ。
何年に武家諸法度が制定されてとか、関ヶ原の戦いが何年でなんてのも大事かもしれないけど、それよりも大衆の暮らしが、どうなっていったのかっていう方が大事、ひいては自分の生活との繋がりを考えるって方が、余程大事だろ。
そういうふうに変わってけば、良いなって思ってます。


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