長篠の戦い 織田が兵農分離した先進的な軍隊で、武田が遅れてたっていうのは嘘
「織田信長の軍隊といえば、「兵農分離」の軍隊(職業軍人)の精鋭であり、先進的性格を有していたとよくいわれる。これに対し、武田勝頼の軍隊は、郷村の土豪、有徳人、有力百姓層を動員した軍役衆(在郷被官)の比重が大きく、「兵農未分離」の軍隊(農兵)による編成であるが故に農事歴に規定されがちで、長期戦に不向きであり、訓練度も低い後進的性格であったといわれてきた。しかし、最初にはっきりいえることは、織田信長や徳川家康の軍隊が、「兵農分離」であったことを証明した研究は一切存在しない。それどころか、織田、徳川氏の軍役に関するまともな研究はなく、さらに両氏の史料を博捜しても、軍役に関わる史料がほとんど残されていないのである。この点、武田、北条、上杉氏の東国大名の方がよほど史料も豊富で研究も進んでいるといってよい。」
「信長が「兵農分離」、職業軍人化、城下町集住を推進していたことについて、その事例として事あるごとに取り上げられるのが、「信長記」巻11に記録される信長の旗本衆の逸話である。天正6年(1578)正月29日、安土城下の御弓衆福田与一の家を火元とする火事が起きた。これを知った信長は、妻子を連れて安土に引っ越してきていないことが原因と断じ、家臣を奉行に任じ、ただちに着到を付け改させたところ、旗本のうち120人が妻子を帯同していないことが判明した。信長は彼らを処罰することとし、火元が弓衆福田であったことから、岐阜城の織田信忠に命じて奉行を派遣させ、終わりに妻子を住まわせていた御弓衆の私宅にことごとく放火し、周囲の竹木まで伐採した。これに恐懼した御弓衆らの妻子は、取る物も取り敢えず安土に移住したという。」
「これは、信長が家臣の城下集住、兵農分離を強行したことと、彼の専制性を示す典型的事例として語られるが、果たしてそうであろうか。この記事を見る限り、御弓衆の尾張にある私宅は、周囲を竹木で囲まれている様子が窺われるので、郷村に生活の基盤を置く土豪層だったのであろう(但し、彼らの知行(所領の実態)が明らかでないので断定出来ない)。つまり彼らは武田氏でいうところの軍役衆に相当すると推察される。信長がここで問題にしているのは、彼らが城下の屋敷に妻子を伴っていないことに尽きる。それは、旗本である者たちが人質を主君に差し出さないことを意味する。信長は主従制の原則を逸脱した言語道断の所行として断罪したのである。亅
「では、武田氏の場合はどうであったろうか。武田氏も、家臣の城下集住は、すでに武田信玄の父信虎が甲府建設を実施した当初から推進していた」以上、平山優氏著 検証 長篠合戦から引用しました。
ここにあるように、織田の軍隊も武田の軍隊も質的に変わらないもので、織田が先進的で兵農分離なども、他大名に先駆けて行っていて、兵農未分離であった武田は農繁期などに戦争できなかったなんていうのは、嘘だったっていうこと。
それどころか、織田は軍役に関するまともな史料も残ってないんだから、かえって武田、北条、上杉などの東国大名の方が、織田よりもずっと先進的だったのかもしれない。
それに兵農分離の問題でも、武士が武士だけでは生活できないから、百姓もやっていたんじゃなく、百姓が百姓だけでは生活できないから、口減らしで戦国大名の戦争に小荷駄運搬を担う陣夫として参加したりしていた。
これは戦国大名の支配下の村で、税金(人を提供する)として村に課されたものだけど、当時の食えないは現代と違い、文字通り餓死するわけだから、待ってましたー、これで一家餓死しないですむって人もいっぱいいただろう。
従来、織田信長が天下統一目前までいったのは、兵農分離、楽市楽座などの先進的な政策を行ったからっていわれてきたけど、楽市楽座など、どの大名も行ってるし、兵農分離も武田などの東国大名と変わらないどころか、史料すら残されていないってんだから、かえって遅れてたとすら思える。
そうすると、なんで織田が領土を急拡大できたのか、全くわからなくなる。
昔から尾張兵は弱いってことになってたけど、これも司馬遼太郎などの小説家がデタラメ書いてただけで、本当は無茶苦茶強かったとかゆうのは、聞いたことないし。
ただわかってきたのは、昔と比べて研究が進んで、織田が他の戦国大名と比べて先進的どころか、史料すら残されていないんだから、遅れてた可能性すらあるっていうこと。
織田と他の戦国大名との違いっていったら、五畿内を抑えられたっていうことと、根切りっていわれる、長島一向一揆の皆殺し、比叡山延暦寺の焼き討ち、越前一向一揆の皆殺しなどだけど、こういうのが大きかったのかなって思う。
日本人(大衆)なんてのは、たまに皆殺しにしてやりゃ、ビビってコメツキバッタみたいになんだから、力が全てよ、後はどうにでもなるなーんてね。
参考文献 平山優著 検証 長篠合戦 吉川弘文館


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