戦国時代の村は、小さな国家だった
黒田基樹著 百姓から見た戦国大名からの引用になりますが、「村とは、本来は人々の群れを指す言葉といい、用語そのものは古代から使用されていた。しかしここでの村は、そうした村とは性格が大きく異る。集落のようなものを村、村落と呼ぶならば、それらは自然的村落と理解することができるであろう。それとは異なり、ここで取り上げる村は、政治的村落である。当時の用語で「惣村亅「惣庄」などと表現され、この村が畿内近国など早いところで、13世紀後半頃から恒常的にみられるようになっていたと考えられ、15世紀には関東を含め各地域において、恒常的にその存在を確認することができる。亅
「この政治団体としての村は、法人格として存在し、村として一定領域を知行(占有)し、構成員を認定し、その構成員に対して独自の徴税権、立法権、検断権(警察権)などを行使した。そして個々の構成員の私権を制約する公権力として存在した。それだけではなく、構成員によって独自の武力(軍隊)を保持し、その武力は、村の存続のために外部の集団に対して発動された。村の意志や行動は、特定の家や人物が決定するのではなく、構成員が全員参加した寄合によって決定された。亅
これはどういうことかというと、上流の村に農業用水取られて、自分たちの村にいくらも回ってこないんで、稲の生育が悪いなんてことんなったら、話し合いもしただろうけど、それで埒が明かない場合は実力行使したってこと。
殴り合いどころじゃなく、軍隊なんだから、槍、刀、鉄砲、弓矢をとっての合戦ていうことだから、当然死人も出た。
また、戦国時代ってのは端境期に飢餓がやってくるような時代だから、近くの家の食いもんを盗む、他人の小屋に保管してある米俵を盗むなどして、見つかった場合検断権があるんだから、その村独自の司法制度ってことんなるんで、到底ただで済むとは思えない。
大したもん盗んでないのに、荒っぽい時代だから、即決裁判で最悪死刑なんてこともあったのかも。
ここで、注意が必要なのは村の領域で生活している全ての人間が村の構成員というわけではなく、村の構成員から排除された人間もいたし、村への負担や恩恵の内容も差別されたりした人間もいた。
現代日本でも、日本に住む人間が全て日本人ていうことには、ならないのと同じ。
また、村の意志を決定する寄合などは、村の鎮守や、村寺などで行われたとある。

みんなの住んでる、古くからあるお寺、神社などに大昔ご先祖様が集まってたのかもしれません、ひょっとすると、そこから排除されてるご先祖様かもしんないけど。
現代も酷いけど、戦国時代は飢餓に荒っぽい出入りどころか、村と村の合戦、昔も今も生きていくのは大変だ。
参考文献 百姓から見た戦国大名 黒田基樹著 ちくま新書

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