一乗谷朝倉氏遺跡の思い出
昔、一乗谷朝倉氏遺跡っていうとこに行ったことがある。
真夏のお盆休みだったけど、とにかく暑かった。
高速道路で行ったんだけど、途中で急に熱くなってきて、エアコン最強に。
それでも、暑い、暑い、暑い、暑い、エアコンの吹出口に手をかざしてもあんまり冷たくない。
そういう感じがするだけだろと思って我慢してたけど、窓を開けて風を入れたら、その方がずっと涼しい。
結論、真夏で無茶苦茶暑い日なのに、よりによってエアコンが壊れた。
以後、このドライブ中ずっと窓全開で走るはめに。
真夏にエアコン故障っていう最悪な事態の中、なんとか一乗谷朝倉氏遺跡に着いて、庭園の跡がいっぱいあって、見て回ったけど中でも良かったのが、諏訪館跡庭園ていうの。
石組みが見事で奇麗な庭園で、来てよかった。
それでも、そこで見たのか忘れたけど、説明書きに軟弱で平凡な庭園なんてことが書いてあった。
朝倉義景が愛妾の小少将のために作った庭園で、そんな女にかまけてるから軟弱んなって、織田に負けて滅びるんだっていうような悪意を感じた。
おかしいだろう、朝倉義景が生きた時代は戦国末期で、その前なら群雄割拠も出来たけど、戦国の最末期なんだから、選択肢は3つしかなく、勝って天下人、負けて滅亡、負けて臣下になるか、もう1つ、はなっから勝てっこないから臣下にしてもらうっていうのしかない。
負けて臣下になるのも、負けて滅びるのも、負けてんだから同じだろう。
違いは同じ負けでも、片方は臣下になっても家は続くけど、片方は滅びたわけだから、なくなったっていう違いだけで、まあそれが大違いってことなんだろうな。
家を繋いだ方が圧倒的に偉いっていう考えなんか、同じ負けでも滅びた方はボロクソに言われ、残った方はやたらと持ち上げられてる感じがして、実態と全く違うんだろうと思う。
歩いてみて、ここは朝倉氏の城下町だったんだけど、町並みが奇麗だし、武家屋敷の石垣も立派で、朝倉なんてゆうと上杉とか武田に比べると大したことないみたいだけど、そうじゃなく力はあったんだと思う。
天正元年(1573年)織田信長の越前侵攻によって、ここ一乗谷は焼き払われて再建されることなく、農地に姿を変えたりして現代に至ったので、戦国時代当時のまんまの風情を楽しめるのは、全国でもここしかない。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館っていうとこに行くと、ここでしか売ってない書籍もありますよ。
みなさんも一度、行ってみて良いとこだよ。


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