長篠の戦い 決戦場の場所が違うんじゃね

11月 20, 2020

「信長公記亅に「川を前にあて、武田四郎、鳶ノ巣山に取上り居陣候はば、何共なるべからず候を、長篠へは攻衆七首差向け、武田四郎滝沢川を越来り、あるみ原三十町ばかり踏出し、前に谷を当て、甲斐、信濃、西上野の小幡、駿河衆、遠江衆、三衆の内つくで、だみね、ぶせち衆を相加え、一万五千ばかり一三所に西向に打向かい備え、互いに陣のあわい二十町ばかりに取り合い候。亅とある。

現代語にすると、武田勝頼は川を前にあてて、鳶ヶ巣山に布陣していれば無事だったのに、長篠城の攻撃に7人の武将を残し、自身は滝沢川を越えて、あるみ原を約3kmくらい進み、谷を前にあてて、(中略)1万5千くらいで西向きに布陣した。

両軍の間隔は約2kmくらいだった。

武田軍があるみ原を3kmくらい進んで、谷を前にあてて、布陣して両軍の間隔は2kmってあるから、これをそのまま下の図にすると、こんな感じ。

google マップ様より引用

決戦場跡ってとこと、織田、徳川陣地跡ってとこも過ぎてずーっと西に織田、徳川の陣地があったってことんなる。

武田の陣地は、滝沢川(豊川)を越えて、3km進んだとこで、武田軍陣地跡になってるんで、ここは合ってる。

「信長公記亅からすると、武田軍陣地から2kmで織田、徳川軍陣地だから、このマップのようになるって話。

この場所なら、従来言われているような、こんな狭い場所に両軍合わせて5万人以上が戦えるはずが無いから、実数は両軍とも半分程度じゃないかって話も、ここなら広い平野だから楽々クリアできる。

「甲陽軍鑑亅の織田、徳川軍10万人説でも、この平野なら十分に布陣可能。

google マップ様より引用

上の写真の右が武田軍陣地跡、左が織田、徳川軍陣地跡ですが、武田軍陣地の一番はじから馬防ぎの柵を設置したという連吾川まで、僅か100mくらいしかない。

こんな敵陣の真ん前に布陣する武将が、いるんだろうか

続く

参考文献 長篠の戦い 信長の勝因. 勝頼の敗因 藤本正行著 洋泉社


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