長篠の戦い 清井田訣盃の跡 遅すぎる
清井田訣盃の跡っていうのが、武田軍陣地と言われている所のすぐ後ろにあるけど、あんなとこで別れの盃って遅すぎると思う。
5月21日に織田、徳川連合軍と決戦するわけだけど、その前日かどうかわからんけど、決戦と決まって、生きて帰れそうにないんで、別れの盃を酌み交わしたと。
決戦の結果が、武田にとって悲惨なことんなったんで、後世にそういう事もあったんじゃねって感じで作られた場所なんかなあ。
それにしても、川を渡ってあんなとこまで出た後で、別れの盃って余りにも遅すぎるし、そこで戦わない事にして撤退なんて出来るわけもない。
清井田訣盃の跡ってとこから、織田、徳川軍陣跡ってとこまで、直線距離で1kmくらいしかない。

あんなとこまで出てきて、勝頼が戦わないで撤退することにしますなんて言ったとして、無事に撤退できるとは、到底思えない。
全速力で川まで後退したとして、川に橋が架かっていたって話もあるけど、あの時代の橋だから一人か二人並ぶのが精々だろうし、同時に川の浅瀬を選んで渡ったんだろうけど、どうしたって川の手前で大渋滞になる。
織田信長が凄く優しい人で、可哀想だから追撃するのは止めようなんて訳ないし。
どうしたって、追撃される。
そこで、追いつかれて逃げながら戦うなんてのは無理だから、そこでボロッボロに負ける。
戦うことにしょうが、戦わないことにしようが、同じ結果にしかなんないと思う。
別れの盃を酌み交わすとしたら、医王寺の武田本陣だろう。
戦なれしてる信玄以来の武田重臣達は、防御に有利な川のラインから、地形の有利を捨てて設楽原に陣を布くなんてのは、無謀だと思っていただろう。
そこまで思わなかったとしても、川のラインで織田、徳川の出方をうかがうっていうのが、普通のやり方だと思う。
武田の諸将が清井田ってとこで、別れの盃を飲んでたとして、敵の陣まで直線距離で1kmしかない。
速歩きすれば、10分くらいで着く。
気が気じゃなくて、酒なんて飲んでらんないと思う。
本当に、あんなとこに陣なんて布いてたんだろうか?
続く

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