長篠の戦い 長篠城難攻不落の謎

11月 20, 2020

長篠城を包囲するのに、武田勝頼は城の西、南、東方向は川で隔てられていて、攻撃不能なんで、唯一の攻撃可能方向である、北に大通寺陣地を作り、そっから攻撃した。

前にも書いたように、川があって攻撃不能なんだから、鳶ヶ巣山などに砦など作ったとこで無駄にしか思えないんだけど、川を渡って脱出する奴とか、城外と連絡を取らせないために、砦を作ったのかもしれない。

長篠城の城兵からしたら、川の向こうにも砦を作られて完全に包囲された格好だから、最早どこにも城から脱出できない。

一番脱出しやすいのは、長篠城正面の陸続きの方向だけど、ここには武田の大軍が充満していて、殺されに行くようなもん。

「降参しまーす」と言って、武田軍陣地に駆け込んだらどうだろう?

この場合は、平城なんで後ろの味方に丸見えだから、裏切り者として味方から撃ち殺されるような気がして、危険過ぎてとても勝手に降参なんてできない。

長篠城が落ちなかったのは、これが原因なんだと思う。

妙に厳重に包囲してしまったもんだから、城兵が逃げられなくなった。

険しい地形の山城があっさり落とされて、こういう平城が落ちないのは、こういう事なんだと思う。

山城の場合、持ち場を放棄して脱出(逃げる)しようとしたら、射撃の邪魔になる木は切り倒してあったろうけど、そこをかわせば、岩の陰に身を隠すなりすれば、逃げられたんだろうと思う。

その後は、森の中に入れば、敵からも味方からも逃げられる。

今の軍隊で敵前逃亡などしたら、国家の敵ってことんなるから、只では済まないし、第二次世界大戦の日本軍兵士が逃亡したいと思っても、故郷の親のことを考えると、そんな逃亡兵の親として村で生きていくことは、できなくなるから、逃げられなかったっていうのをNHKのドキュメンタリーで見たことがある。

戦国時代の軍隊では、そこまでの統制力は無いから、危なくなれば、城主の一族とか上級の武士とかじゃなくて、雑兵だったりしたら、そこまでの義理はないんだから、トットと逃げたんだと思う、命は一つしかないんだから。

雑兵が逃げようと思っても、前には武田の大軍、後ろは川で逃げらんないのに、その川の向こうの鳶ヶ巣山に砦まで築いて、完全封鎖状態。

だから雑兵は生き延びようとしたら、死ぬまで戦うしかなかった。

他に考えられる事は、本丸、二の丸、弾正郭の廻りに水堀が巡っていたようなんで、直接城壁(土塁)にとりつけなかったって事だと思う。

山城が落城する場合、土塁の外に大抵空堀が掘ってあるけど、この空堀から直接登るか、多分ハシゴをかけたんだろうけど、敵兵がいっぱいいて、味方が持ち場放棄して逃げ出す兵が続出したら、いくら本来が堅固な山城でも、どうにもなんなくなったんだと思う。

水堀なら、堀を埋められない限りは大丈夫そう。

長篠城主郭内堀
1947年の米軍撮影の長篠城

この主郭内堀、狭いんだけど、往時はもっと広かったんだろう。

攻めた、武田勝頼の身になってみると、簡単に落ちると思ったら、なかなか落ちないんで、内心焦ってたら織田信長が出てきたんで、チャンス到来って思ったんだろうな、この後の展開からすると。

結果から考えると、どうかと思うけど。

また続きます。


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